《特別企画「ズートピア」saboten編》


 テレビを何気なく点けると、特番「警察24時」が放送されていた。各都道府県警の協力のもと、麻薬の取引現場を押さえる場面や一般道で取り締まりを行う白バイ警官などに密着する番組だ。小さい頃はこの番組が大嫌いだった。法律的にも常識的にも問題ないように見える一般人にも、声が届かないことをいいことにナレーターが説教を垂れている思い出がある。(もちろん彼がセリフを決めているわけではないだろう)見終わってひとしきり嫌な気分になってから、権力者に対する小さい反抗だとかなんだと考えて、職務質問をどう乗り切るかについて思案したものだった。

  久しぶりに見た「警察24時」も数年まえと変わらず白バイ警官の特集を組んでいて、千葉県警のある男性警察官に密着していた。彼は優しい目をしている初老のおじさんであり、たった五人で千葉県全域をカバーする「遊撃隊」の隊員なんだそうである。僕の中の白バイ警官のイメージは事故が多発する交差点の死角でスピード違反をするクルマを待ち伏せて、まんまと引っかかった運転手を捕まえ懇々と説教をするというものだ。この男性はそういうイメージとは違った警察官だった。彼は事故が多発する道路に赴くと、ただ制服を着て白いバイクを走らせる。それだけなのに、彼を見た運転手たちは速度を緩めたりシートベルトの締め方を確認したりする。また車列のペースが速いなと感じたときは、車の間を縫って先頭車両まで追いつきその隣を黙って走る。ちらちらと横目で乗用車を見ている彼は小さな声で「気づいてくれ」と言っているようだった。密着取材の終盤で番組スタッフは彼に「なぜすぐに取り締まりを行わず並走したり、違反者のいない車列につくのですか?」と尋ねた。彼は顔をハンカチで拭きながら恥ずかしそうに「白バイ警官は運転手さんに事故を予防してもらうために道路を走ります。それが一番大切なことなんです。」制服を着て白バイを走らせればそれだけで運転手は速度を緩める。彼は単に違反を取り締まるのではなく、違反が招く事故を減らせるよう意識しているのだ。無意識のうちに少しばかり飛ばしすぎてしまうこともあるだろう。それが極端に行きすぎてしまわないようにたしなめるのが、警察官の役目だという彼の理想は納得のいくものだった。
 『ズートピア』の主人公うさぎのジュディは田舎の女の子。幼いころからの夢は警察官。厳しい訓練を乗り越えてやっと大都会ズートピアへの配属が決定する。彼女の夢はただ一つ。ズートピアをよりよい街にすること。このズートピアという街は大きな動物も小さな動物も、オスもメスも、肉食動物も草食動物もお互いがお互いを認めあい暮らしていると言われている街だ。そのための環境づくりも法整備もされており、そのシンボルたる市長にはライオン副市長にはヒツジと共生を謳う街らしい人事がなされている。ところが現実は違った。法律上は平等であるはずの街では差別が横行しているし、それを利用する輩も野放しになっている。ゴロツキのニックは澄ました顔でジュディに言う「ここはきみのいるところじゃない。田舎に帰んな。」物語後半ある一連の事件がズートピアを震撼させる。それはある一つの差別を助長し、ジュディすらそれを無意識に持っていたことに気づく。その差別を解決する方法として提案されるのが、差別されるべき要素を持った人々を街から「排除」するというものだった。
 ここからは少しだけネタバレが入る。気になる人は飛ばしてほしい。
 ①「理想」
 ジュディがもっていた「理想」は「ズートピアをよりよくする」というものだった。一連の事件の黒幕の「理想」も同じものだったと私はおもう。ズートピアをよりよくする、それを達成するためにジュディははじめ法律を根拠にして厳しい取り締まりを行う。そして差別を行う人に対しても法律で対処しようとする。しかしそれは一時的な効果しかなく、根本的な解決になっていない。むしろ黒幕は法律による対処が簡単であると知っていたから、差別していた人々を差別される側として排除しようとする。「ほら、ズートピアから差別する人たちがいなくなったのだから、だれも私たちを差別しないでしょう」ということだ。
 黒幕とジュディの「理想」とする「よりよいズートピア」からは排除されるひとたちがいた。そうした「理想」を達成することは簡単だ。なぜならそれは一時的なものだからであり、法律という強い後ろ盾があるからだ。ただそれは本当の理想だろうか、という問いが終盤に提起される。ほかの人を排除した「理想」は実はただの「独りよがり」だ。それを達成するためには「差別していた人たち」を自分たちと同じひとりの人間としてみること、そして自分たちの「理想」を一律にただ相手におしつけることは「独りよがり」であるということを強く意識しなければならない。「何度でも考え直してみよう、挑戦してみよう」という「try everything」のライブを、映像を通して黒幕の人物も聞き入ってる場面は、彼もズートピアの仲間として認めた上で歩き出して行こうとする未来を予感させる。
 ②「警察」
 「警察」はルールの代弁者でもある。しかし「理想」を押し付けることが「警察」の仕事ではない。お互いの主張や趣向が違う人々がひとつの場所で暮らすための仕組みはそうそう簡単にはできない。時に言い争いが生まれ、それがエスカレートしてしまうこともあるだろう。それを止めることが「警察」の仕事だとするなら、彼らの役目は「たしなめ役」と言い換えられるだろう。『ズートピア』のおもしろいところは、ありきたりな解決場面をもう一度ひっくり返すところだと思う。「そんな風にすっきりと終わらせられたら苦労しないよ」というメッセージがあると思う。知らず知らずのうちに「独りよがり」になってしまっていたジュディは警官バッジを返す。警官バッジを返すという行為は刑事ドラマでよくある展開だ。ただ彼女の理由は「こんな警察官になりたかったわけじゃない」というものだった。 その彼女がニックとともにああした形でエンディングを迎えるのはルールと「独りよがり」は違うということ、そしてルールとは行き過ぎをたしなめるためにあるのだということを示しているように見えた。
  
  初見の時、僕は途中で拘留された男性がある人を差別へと走らせてしまったことを、しっかりとたしなめられ自覚させられたほうがいいと思った。作品でひとまず中心として描かれるものとは別の差別を行なっている気がしたからだ。しかし、考え直してみると現実はそうそううまくいくものではない。気付く機会を逸してしまうことはよくあるのだ。事実ジュディとニックは直接彼がそうした行為を行っている現場を目撃できていない。最初から全員が無意識の差別に気付けていたら、『ズートピア』は「理想郷は存在する」という物語として早々に幕を閉じるだろう。しかしこの物語は「理想郷を目指す」物語だと僕は思う。だから失敗やできないこともちゃんと描写する。その上で、エンディングにおいて二人がきっちりたしなめる場面が入れられている。今度は気付くことができた、ここから「ズートピア」への道が始まるのだ。
  この企画に参加してくれたKEBABくんに最大の敬意を。どうぞ彼の記事もご覧ください。
記者:saboten