≪映画≫茄子 アンダルシアの夏

    少し前に筆者の周りで自分の地元をdisることが小さなブームとなった。横浜市民のほとんどは横浜市歌をそらんじることができるだとか、名古屋市民は「熱々」という意味で「ちんちん」という言葉を遣うだとか、何処何処と其処其処は勢力争いを繰り広げているだとかそういう類のものだ。      

   確証のない、でもどうにも本当らしい地元disネタを話す友達は、いつもはにかんだような表情を浮かべていた。地元のことを話すのは少し恥ずかしい。誰もが地元のことを蔑もうとdisりを行っているわけではない。思春期の男の子が母親の話をするときに、決まって「うちの母ちゃんがさ〜」とため息まじりに前置きするようなものだとおもう。
     『茄子』の舞台はスペインの片田舎「アンダルシア」。ゴツゴツした岩がちの山が生える赤茶色の荒野の中に、糸のようにどこまでもコンクリートで舗装された道が伸びている。照りつける強烈な日差しを防ぐものはなにもない。一年に一度この小さな田舎町が熱狂の渦に包まれる。一大イベント ブエルタ ア エスパーニャがやってくるのだ。
    ブエルタ ア エスパーニャはツールドフランスと並び称される世界的な自転車ロードレース大会のひとつである。選手達は約150kmを1ステージとして20日以上に渡りレースを行う。自転車ロードレース大会は通常、箱根駅伝のようにリレー形式ではなく、各チームの選手がスタートからゴールまで入りみだれるマスドスタート形式で行われる。とはいえ個々人がやみくもにゴールを目指すわけではない。一日で終わるアマチュアのワンデイレースとは違い、何日にもわたってレースが行われるプロのステージレースの場合は一定の結果を出すためにチームの中でも爆発力のある選手一人を他の全員がサポートする作戦がとられることが多い。またプロが参加する大規模レースの場合、TV中継の視聴者数は35億人ともいわれる。選手は勝つだけではなく、スポンサーの広告をできるだけTV画面に映すことを求められるのだ。
  プロチーム パオパオビールに所属する主人公ぺぺ・ベネンヘリ(CV.大泉洋)にその日与えられた仕事は、いつも通りチームのエースのサポートを行いながらスポンサーの広告をTVに長く映すこと。しかし作戦というものはたいていうまくいかない。チームのエースの怪我や逃げ切り集団への仕掛けが不発に終わったことで、ペペはたったひとりで残り十数キロの故郷の道を突っ走ることになってしまう。
  「いいか、アンダルシアの男は赤ワインと茄子のアサディジョ漬けだ。ビールなんか飲む奴はおれの店からたたき出してやる」。ペペが孤独な闘いを強いられているなか、故郷「アンダルシア」の馴染みの酒場ではペペの兄アンヘルと幼馴染のカルメンの結婚を祝うパーティーが行われていた。カルメンが踊るフラメンコと茄子漬けを肴に、新郎新婦の友達が特産品の赤ワインを飲みかわし、盛り上がった酒場の店主が歌い始める。
灼けた風も 
夕日で止まる
君を待つよ
なにもない故郷
アンダルシア
アンダルシア
アンダルシア
やせた土地も
緑は芽吹く
君を待つよ
祭りは近い
  カルメンの提案でゴール地点まで向かうことにした一同。相乗りすることになった親戚のリベラおじさんはアンヘルに兄弟の思い出話をせがんだ。遠い目をしながらアンヘルが語ったのは「アンダルシア」からペペが去った日のことについてだった。カフェにいるうつむいた三人の男女。脚を組んだまま黙って煙草の灰を落としていたペペが急に立ち上がる。アンヘルはペペが軍役を果たしている間に、ペペの交際相手であったカルメンと関係を結んでしまっていたのだ。ペペは退役した姿のままロードバイクをもって街を去った。
 後続で体力を温存していたトップエースたちが距離をじわじわと詰めてきている一方でペペは着実に体力を消耗していた。それでもぺぺは何もないアンダルシアの荒野を走り続ける。初めてロードバイクをリベラおじさんに買ってもらった日、カルメンの横顔、レースでアンヘルを追い抜いてしまったこと。酒場の店主が歌う「何もない故郷アンダルシア」が次第にぺぺを包み込んでいく。それを振り払うようにぺぺが呟く「おれはできるだけ遠くへ行きたいんだ」
ペペが見上げる雄牛の看板「オズボーンの雄牛」 実際にスペイン各地に設置されている。(画像はwikipediaより)
ペペが見上げる雄牛の看板「オズボーンの雄牛」 実際にスペイン各地に設置されている。(画像はwikipediaより)

 

    レースを終えクールダウンのために近くを一回りしているぺぺに、新婦一行が車から声をかける。その後ろから、いつ間にかロードバイクにまたがっていたアンヘルが追いかけてくる。それはリベラおじさんに買ってもらった兄弟共用のロードバイクだった。カルメンが冗談めかして「好きよぺぺ」とうそぶいたのでぺぺは「ついてくるんじゃねえ!」と怒鳴り散らしてペースを上げていく。赤茶色の大地はほんのりと青く色づき、荒野には生暖かい風がふいている。運転席に座った店主がしんみりと歌いだす

なにもない故郷 アンダルシア 祭りはちかい

    宿に戻ったぺぺは仲間たちと長テーブルを囲む。ビールをやろうと思っていたぺぺは、グラスに注がれた赤ワインと山盛りに積まれた地元名産の茄子漬けにうんざりした顔をする。しかしナイフとフォークで頂こうとする仲間にため息を吐くと
「これはなぁ!こうやってたべんだよ!」と茄子漬けをひとつまみ。食べ方は頑固者の店主にそっくりというところで物語は終わる。
     

  私はこの物語は「思い出」の物語だと思う。実はアンダルシア地方には茄子のアサディジョ漬けという料理も、「アンダルシア」の歌も存在しない。このふたつは作者の創作である。にもかかわらず、ペペの死闘を見届けた後、大地と空気が青く澄みきった「アンダルシア」はとても美しく、そしてどこか懐かしい。今の子供たちには故郷がないとなにかの本でよんだ。「少なくとも思い出はある」と私はいいたい。私の「アンダルシア」には気のいい親父と、仲のいい友達がいる。会うたびに何かあげようとする親戚のおじさん、5時になるとどこからか聞こえてくるメロディ、ポケモンのエンディングテーマ、カレーのにおいがどこかの家からただよってくる。しかし思い出の分岐点には痛みの石碑が置かれているものだ。小学校の時、中学校のときならまだほほえましく思える。だが高校なら?大学なら?高校デビュー、大学デビューなんて言葉がある。いつのまにか疎遠になった友人に出会うのを避けるのは変わってしまった自分をみせたくないからなのか。それとも変わる前の自分を思い出したくないからだろうか。

  ペペが「アンダルシア」から離れようとするのは両方の理由からだろう。必死に後続集団から抜け出し逃げ抜けようとするペペに、じわじわと追いすがる他の選手は遠い日の「アンダルシア」の痛みを思い出させる。痛みの「思い出」がぺぺに迫ってくる一方で、それと同じ匂いのする温かい思い出が赤茶色の荒野を走り抜けたペペを出迎える。そうしてペペは小高い丘の上で「なにもない故郷」に近寄りたくなかったのは、それを居心地よく感じる自分もいたからだと気づく。痛みの「思い出」はいつか温かい「思い出」へと、笑い話へと変わるだろう。そんなことはわかっているのに、どうしてもそれから目を背けずにはいられない。

  「思い出」は故郷という地理的なものではない。生徒会長に立候補して見事落選したことでもいい。友達に告白して関係をぐちゃぐちゃにしてしまったことでも、両親に怒りの矛先を向けてしまったことでもいいだろう。そうして渡り鳥のように次々と思い出を運び、思い出を隠しながら今日もペダルをこいでいる。それでも「アンダルシア」は私を待っている。いつか私がそれを笑ってひとに話せるようになる日を。

 

記者:saboten