《歴史》PITA: the global standard


「人はパンによってのみ生きるのではない」と誰かが言った。

 もちろんその通りだ。この言葉には正しい。だが、パンがうまいことには変わりがない。だから今回は、そう、今回は、このコーナーをパンに捧げようと思う。

 

 皆さんはパンというとどういうイメージがあるだろうか。

 ギリシア神話の下半身がヤギの神様? 鍋の一種? はたまたフ○テレビの女子アナウンサーの愛称だろうか? おそらくほとんどの人は食べ物のパンをイメージするだろう。

 パン。それは、「小麦粉(またはライ麦その他の穀粉)を主材料とし、これに水とイーストなどを加えてこね、発酵させてから焼き上げた食品(『広辞苑 第六版』より)」。そうはいっても、パンにはいろいろな種類がある。発酵させないパン(ユダヤ教の祭りで食される「マッツォー(マッツァー)」と呼ばれる酵母を入れていないパンなど)もあるし、こねないパン(アメリカのコーンブレッドやクレープなど)だってある。こねていて、発酵させていたとしても、バゲット、クロワッサン、パン・ド・カンパーニュ、デニッシュ、ベーグル、ライ麦パン、あんぱん、食パン、メロンパン、クリームパンに、ジャムおじさん(?)とたくさんの種類があるものだ。

 そんな、世界に星の数ほどあるパンの中で、今回の主人公は、テーマ「ピタピタ」にふさわしいあいつである。知名度、名前のお茶目度、そして世界での普及度No.1KEBAB調べ)を誇る、「ピタパン」だ。

 

 ピタパンとは、薄めの、ナンのような感触の、中に空洞があるパンである。

 ピタ、というかわいらしい名前は、主にギリシアやイスラエル、西洋で用いられている言葉だ(雰囲気を出すためにいろいろな文字で表記すると、ギリシアならπιτα、イスラエルならפתה、西洋ならPitaである)。ちなみにこの種のパンは、中東や北アフリカにも存在していて、そこでは「ピタ」ではなく、「ホブズ(フブズ:خبز)」と呼ばれている。

 日本でパンというと、どちらかというとふわふわしていて白いものが想像されるが、中東の方では、パンと言えばピタパンのような平たくて、ペタっとしていて、中に空洞のあるものの方がむしろ主流のようである(平焼きパン、という。酵母を入れない平焼きパンもあるが、ピタ、ホブズには酵母が入っていることが多い)。また、インドのナンやチャパティなども似たようなものなので、全世界的にも、グローバルスタンダードは平焼きパンなのである。

 そもそも、パンの生まれ故郷は中東なのだから、元々パンは白くてふわふわしたやつではなく、ぺたぺたした薄ベージュ色のピタパンなのかもしれない。

 

 パンの生まれ故郷は中東? とクエスチョンマークが頭上に浮かんだ方もいるかもしれない。日本では、パンと言えば欧米、というイメージが流布しているせいもあるだろう。だがそれは大きな間違いである。もちろん、欧米諸国はパン文化が発展しているし、日本にパンを伝えたのは西欧列強だったから、「間違い」は言い過ぎかもしれない。しかし、パンの生まれ故郷は、「中東」なのである。

 今から二万年ほど前のことだ。まだ、人間は文字も、都市も、国も、もっていなかった。そんな遙昔から、人間はパンを食っていた。そんな「パン食い人」たちが住んでいたのが中東だった。世界史を習ったことのある方は一度は聞いたことがあるだろう、「肥沃な三日月地帯」である。

 肥沃な三日月地帯、というのは、現在で言うイラン、イラク、シリア、レバノン、イスラエル、パレスチナ、ヨルダンの一帯をさす。現在ではあまり治安状況の芳しくない場所だが、その昔、そう、だいたい今から二万年から一万年前までは文明の集積地であった。いわゆる、メソポタミア文明である(これがしばらくすると、高度な文明を持った都市国家の群雄割拠状態になって戦争に明け暮れるから、当時から治安状況があまり芳しくなかったとも言える)。

 パンがこの地より始まった証拠は、イスラエルにある今から二万三千年前の遺跡オハローⅡというお茶目な名前の遺跡からの出土品だった。石臼には大麦や小麦が付着しており、窯の代わりに焼けこげた意志がいくつか出土しているのである。当時の麦は、現在の麦と比べて、脱穀するのに非常に時間がかかったらしい。だから当時のパン作りは相当大変だったに違いない。石臼を引く技術、というのもかなり重要なものであり、滑らかなパンを作るには、しっかりと石臼を使わないといけなかった。石臼は様々な遺跡から出土しているが、年代を下るにつれ、どんどんいい石臼に改良されてゆく、工夫の跡が見えるという。

 

 パンを膨らませるには、酵母が必要だ(実は、水蒸気で膨らます方法もあるが、基本的には酵母を使うのが一番手間がかからない)。今ではイースト菌がその辺に売っているが、当時はもちろんそんなものはない。当時は、だから、乳酸菌を使って自然発酵をさせていたようである。その乳酸菌はどこで手に入れるのかと言うと、文明が発達してゆく中で生まれた、人類最大の発明にして、最大の過ち、「酒」であった。

 肥沃な三日月地帯と、もうひとつ、当時その辺りで発展していた文明を挙げよ、と言われたら、「エジプト」と答えるのが正解だ。エジプトもまた、パン大国だった。パン大国であるとともに、じつは 

ビール大国でもあった。それはやはり連関しているのだろう。ビールがあるから、乳酸菌ができる。だから、パンができる。この、ビール業者から酵母を貰ってパンを作る、というやり方は、ヨーロッパでも中世においてよく行われていたそうだ。

 一つ、有名なエピソードをあげよう。

 エジプトと言えば、ピラミッドで有名だ。あのピラミッドを作る上で、ものすごい量の労働者が捻出された。彼らは、往年のアメリカ映画が描くような奴隷たちではなく、普通の農家の人が主だった。洪水の時期、仕事がなくなって食いっぱぐれないよう、仕事を与えていたのである。そんな、ピラミッド造りの給料は、「パンとビール」だったらしい。どれだけパンとビールが大事だったかがわかる。パンとビール、などといえば、現在ではドイツの専売特許みたいだが、紀元前ではエジプトの専売特許だったのである。

 

 メソポタミアやエジプトに国家というものが出来上がり始めると、パンは人々の生活の糧の象徴のようになってゆく。叙事詩などではそのように語られたし、祭儀などでもパンはよく用いられたと言う。そしてそこにはやはり、ビールもいた。両者は手と手を取り合っていたのである。

 この時代のパンがどういう形かはわからない。しかし、ピタやホブズのような平焼きが主流だったようである。白くてふわふわ、なんて言うのは、中世から近代のヨーロッパの発明品なのである。だから聖書などに出てくるパンは、まず、平焼きと言っていい。

 時代は下って、パンはヨーロッパのギリシアやローマに広まった。この頃の文献には、ライ麦パンやパンにイチジクなどを入れたものなどがあったことが書かれており、もうここまでくると現在のパンとほとんど変わらないようにも思える。ちなみに、古代ローマと言えば、「パンとサーカス」といって、貧しい人であっても「ローマ市民」ならば、生活保護のようにパンを支給してくれるシステムがあったことでも知られる。そんなローマのパンは、先ほど書いたようなイチジク入りだったり、ベーコン入りだったり、いろいろあったらしい。実は、ローマのパンはその形のまま遺跡から発掘されたことがある。その遺跡はポンペイ遺跡であり、炭のようになったパンがまるまる出てきている。

 

 ここで身もふたもない質問を投げかけてみたい。なぜ、パンにしなきゃいけないのか?

 米食文化圏の日本人にとっては、この質問は投げかける価値があるのではないか。なぜなら、わたしたち日本人は、米をたく。そしてそれをそのまま、粒が残ったまま食す。「米粉」なるものはわたしたちの生活に昔からあったものではない。米食文化圏でも、ヴェトナムなどは米を粉にする伝統がある(米粉麺やライスペーパーになる)が、ほとんどの米食文化圏ではそのまま食べるのが主流だ。どうして、小麦をそのまま食べちゃいけないのだろう?

 もちろん、小麦、いやどちらかといえば大麦をそのまま食うことがないわけではない。オートミールは、大麦をそのまま食べる。しかし、確かに、小麦文化圏を見てみると、パンの形にする方が主流のようだ。その理由は、挽いて焼いたパンの中には、粒のまま食べるよりも、より多くの糖分が含まれているからだ。栄養価的に、パンの方がずっといいらしい。

 

 さて、パンの歴史とパンの良さを大雑把に書いてみたが、そろそろ主人公の話に戻ろう。

 ヨーロッパでは、白くてふわふわの「ローフブレッド」を文明の象徴、富の象徴と認識する時代が長らくつづいていた。そのため、ピタパンのような、いわゆる「平焼きパン」は庶民の食べ物だったようだ。イタリアのパニーニのようなものも、日本ではおしゃれアイテムだが、基本的に労働者の食べ物だ。そして、あれも、平焼きパンである。ヨーロッパでは平焼きパンは下々のパンであったようなのだ。

 一方、中東やインドなどでは、高温乾燥の気温から、あまりふわふわのローフブレッドを作るのには向いていなかったようである。じっくり焼こうにも、早々と温度が上がってしまうのである。またしっとり感も出せない。だから、平焼きパンが重宝された。昔からの伝統を守っていたせいもあるかもしれない。その日のうちに粉を挽き、その日のうちに焼き上げる。薄いベージュに黒い焦げた斑点のついた平焼きパンの出来上がりである。ピタパンやホブズになると、これに空洞が開いているので、中に思い思いのものを入れられる。

 

 例えば、一番有名なのはケバブだろう。ドネルケバブという、くるくると回る肉をそぎ落とし、それをピタ(ホブズ)の空洞に野菜と一緒につめる。つめ終わったら、そこにソースをチュルチュルット掛け、出来上がり。一般に「ケバブサンド」と呼ばれているが、これはなかなかうまい。空洞につめて食べるのはやはり、ピタの醍醐味でもある。

 ピタと同系統の平焼きパン、ナンにも空洞がある。ナンの場合、焼き上げる時、普通の窯ではなくて、タンドールという円筒状の窯の壁の部分に生地を貼付けて焼き上げる。だが、わたしは、少なくともわたし、ナンの空洞を有効活用できたことがあまりない。たいてい、ちぎって、カレーに浸して食べてしまうからだ。

 空洞がある、と言うと、トルコの「エキメッキ」と呼ばれる平焼きパンも同じである。これは表面がてかてかしており(卵でも塗ったのだろうか?)、ごまが付いている。ちぎると中の空洞があらわになる。かつてトルコ料理屋に言った時、わたしはこの空洞にケバブを入れてみた。そしてほうばる。これがうまかった。

 トルコ、というと、平焼きパンの上にいろいろと載せる料理も多い。一つをのぞいて実はまだ試したことがないのだが、これは現在全世界をその手中に収めたピザの素になっているとかいないとか。わたしが食べたことがあるのは、「ラフマジュン」である。ピリ辛のひき肉がまんべんなくついており、食べるたびにぼろぼろとこぼれるので少々厄介だが、うまいのには変わらない。また、食べたことがないが、ギリシア語の「ピタ」を語源にした「ピデ」という同様の料理があるらしい。ピデピデピデピデピデピダピダピダ……ピッツァ。そう考えると、あながちピザ=トルコ起源説も馬鹿にできない。このトルコ式のピザと、ヨーグルトドリンクの「アイラン」を呑むのが、トルコ人の朝食だそうだ。

 トルコ料理ばかり紹介してしまったので、最後に違うものを言おう。イスラエル料理に、ファラフェル、と言う豆を団子状にしてあげたやつがある。なかなか単品でもうまいが、ピタの空洞の部分にこのファラフェルを突っ込んで食うとなおいい。そのとき、ファラフェルを入れる前に、ピタの中に、ひよこ豆のペースト「フムズ」を塗りたくっておくこと。それがイスラエル流である。食べたことがあるが、ケバブサンドとは全く趣の違う、香ばしいうまさがそこにはあった。

 

 空洞に入れれば、すぐに軽食になる。それがピタの良さだ。それはきっと、「下々の」パンだったからなのかもしれない。パッと食べられて、安価で、速くできるのがいい。だから、きっとこう言うものができたのだろう。

 ピタの魅力は、そんな何にでも変わるところだ。あと、ふっくらしたパンには到底真似のできない、あの歯ごたえ。そして、中東全域に広がる、という知的な面白さ。わたしはどちらかといえば、ふっくらもちもちのパンよりも、ピタパン好きである。いつか、ユーラシア横断ピタパンの旅なんて言うのもやってみたい。もしやるということに相成れば……もちろんTODOに特集を組んでもらおうと思っている。

 

(記者:KEBABPITA/KHUBZ

 

<参考文献>

ほとんどの部分は、

ウィリアム・ルーベル著『「食」の図書館 パンの歴史』堤理華訳(原書房)

これはなかなか面白かった。ぜひ興味があればご一読を。パンのレシピまで載ってる。

鈴木董著『世界の食文化⑨ トルコ』(農文協)

玉村豊男『パンとワインとおしゃべりと』(中公文庫)

ケバブサンド。このピタは少々薄めである。
ケバブサンド。このピタは少々薄めである。