『言葉について』


 人を褒める語彙の貧困さに嫌気がさすことはあれど、人を貶す言葉となるとすぐに浮かんでくる。「バカ」「間抜け」「スカポンタン」「とんちき」「とんま」「アホンダラ」「タワケ」「能無し」「ごますり男」などなど。

 井伏鱒二『言葉について』の××島ではみんながみんなそんな言葉づかいをする。それが実に喧嘩腰なのだ。しかし実のところ、彼らはあなたを攻撃しようとする気などみじんもなくて、親しみをこめて悪態をついているのである。幸運なことに、この島にやってきた「あなた」は彼らの言葉を言わんとするように訳述することができる。

 例えば「あなたはとても近眼がお強いのね」というとき、この島の女性は「われこそ、めっかちのくせに!」と叫ぶ。「僕は決してめっかちなんかじゃないと思います」と言おうものなら、「われこそ、この財布を落としたろうね!このめっかち!」とまくしたてられるが、すぐににっこりして「して、躍起にならずに泊まらんかね。十分かくまってあげましょう」などと続ける。これを訳述すると「あなた、この財布を落としません?やっぱり、ひどい近眼でいらっしゃるのね。いいえ、そんなお礼を言っていただかなくても、その代りあたくしどものうちにお泊りくださいませ。お静かな部屋も空いていますから、ごゆっくり静養できますわ」となる。そうして彼女はあなたの腕をはっしと捕まえて、彼女の父親が経営する民宿へ連れ込むのだ。そう、おどろいたことに先ほどの悪態は客引きの言葉だったのある。

 池袋の東口のキャッチのおにいさんたちが「おい!そこのぼんくら!飲み屋安いからこいや!」といってきたらビートたけしの「アウトレイジ」のお兄さんたちならともかく、ぼくだったらジャンピング土下座をする。でもそれは彼らが「東京」の中でも少数派の存在で、すこしだけいかつい顔をしているという偏見と自己防衛から生まれたイメージによるものであって、本当は「さぁお客さん、よってらっしゃい。みてらっしゃい。楽しい大衆酒場でのお食事はいかがですか?かわいい女の子たちが一緒にお酒を飲んでくれますよ」というものかもしれないのだ。すこしも怖がる必要はないだろう。「かわいい女の子は足りているので」とかわせばよいのである。

 悪態を目にする機会は現実よりも、SNSの「つぶやき」や掲示板でのほうが多い。主語も述語もない「まじで殺意がわく」「死ね」「愚か者」「無能はいやだ」などなど。顔の見えない人たちの投げつける罵詈雑言は、さながらマジシャンがセクシーなアシスタントに投げつけるサーベルナイフだ。でもちょっと待ってほしい。ぼくたちには彼の口角も眉毛の角度も身振り手振りもわからないのだ、少年少女もしくは紳士淑女の全方位へとなげつけるこのナイフは果たしてだれかを傷つけるためのものなのだろうか?

 「まじで殺意湧く」=「あぁ本当にこんなことでイライラする私って大嫌い」、「死ね」=「疲れたな。もう誰も構わないでほしい」、「愚か者」=「わたしってなんて愚か者なんだろう」、「無能はいやだ」=「頭のいいアピールなんか聞きたくない!聞きたくないよぅ!」どう思ってつぶやいているのだろう。それは現実のように風によって霧散しない。むしろ分散することによって力を強めてひとりでに歩き出す。

 つぶやきはつぶやきでしかない。すぐに消えてしまう衝動をどうにか形にして吐き出したくて、ごぼりとこぼした溜息なのだ。それは議論にも対話にもならない会話のドッジボールにすぎない。かといって、最初からすべて用意立ててしゃべることも議論や対話ではないように思う。なぜなら自分の中の曖昧な思いは、自分にだって完全にはどんなものだか理解できていないからだ。

 ナイフをそっくりそのまま受け入れている人たち。ナイフを投げようとしている人たち。ぼくたちは××島を訪れた「あなた」じゃないから、相手のそして自分の悪態の訳述なんか最初から知っていることはできない。でもぼくたちはその代わりに決められたセリフを押し付けられていない。だから聞くことができる。「やぁ、そいつはどんな意味なんだい」ってね。

 

(文:saboten)