《映画》デッドプール:「俺ちゃんがんばっちゃう!」


 たまにはバカな映画を紹介してもいいだろう。バカな映画にこそ、人を惹きつける何かがあるのだから。

 

 その映画をわたしは見るつもりがなかった。見たくないというわけではない。むしろ見たかったのだが、わざわざ見に行く気にはなれなかったのである。もし飛行機の中でやっていたら、見ただろうな、というくらいだった。

 だが何の偶然か、わたしはあの映画を見ることになってしまった。それは、ある友人がその映画の試写会チケットを持っていて、一枚余っていたからだった。それならばみよう、とわたしは彼女について行くことにしたわけである。

 

 その映画というのは、「デッドプール(R-15)」だ。今(2016年6月現在)公開中のアメコミ系のヒーロー(?)ものである。だが他のものとは毛色が違う。例えばポスターだ。アヴェンジャーズや、アイアンマンだったら、ポスターの真ん中にキリッとした表情のヒーローがいて、キャッチコピーだって、「愛を知る-全人類に捧ぐ。」などとカッコいいフレーズになっているはずだ。ところがデッドプールは違う。ポスターのど真ん中には、真っ赤なピタタの忍者風の衣装の男が口のところに指を当てて立っている。そしてキャッチフレーズは、「呼んだ? クソ無責任ヒーロー💩ですけど、何か。」

 

 デッドプールは、本名をウェイド・ウィルソンという。彼はもともと傭兵で、今ではストーカーなどをボコボコにしたり、脅したりすることで、報奨金を取って暮らしている。そんな彼はひょんなことからヴァネッサという「夜のお仕事(R-15)」の女性とであい、あんなこと(R-15)や、こんなこと(R-15)を経て、愛し合って行く。しかし、そんな彼を待ち受けていたのは悲しい運命だった。彼は末期の癌で、治る見込みがなかったのだ。

 そんな彼の前に現れたのが、陰気な男。その男は、ウェイドが回復する唯一の道を知っていると持ちかけた。一度は断るも、ヴァネッサと生き続けたいという思いもあり、ヴァネッサの元を離れて陰気な男の元へと向かうのだった……。

 

 その男は、「ウェポンXプログラム」という人間のミュータント化実験に関わっていた。これは、難病患者をミュータントに仕立て上げ、中世イスラーム世界のマムルークよろしく、軍人奴隷として売りさばく計画だった。ウェイドは、フランシスという名前の英国人マッドサイエンティスト(本人もミュータントなので、痛みを感じない)によって薬を投与され、能力の覚醒のためのひどい拷問(R-15)、激しい苦しみを伴う拷問(R-15)を受け、最終的にどんなに体を傷つけられようと(R-15)、すぐに治ってしまうという能力を開花させた。しかしその代償は、皮膚のただれだった。身体中がボロボロになり、顔は(R-15)となった。ウェイドは戦闘の末(R-15)、なんとか実験所を抜け出し、自分の顔をフランシスに元通りにさせ、それから殺害しようと復讐に燃え、新たな人生を「デッドプール」として歩んで行くことを心に誓うのだった……。

 

 そういうふうなあらすじを書くと、まるで重っ苦しい復讐劇のように聞こえる。しかし実際に見てみると、いや、これは想像できていたことだが、そんなことはない。あっさりしている、とはこういうことを言う、というほどにあっさりしている。始まってから終わるまで、爆笑し続けていたら一時間半経っていた、という感じである。

 まず、軽い音楽。とっても楽しそうな音楽が拷問シーンで流れたりする。そのせいか、何だかカラッとした気分で悲劇の男を見守れる。それからデッドプールの軽さだ。まず下品なジョークを飛ばすし、表情は豊かすぎるほど豊かだし、背負ってるリュックとかはなぜか可愛らしい。戦闘中にとにかく喋る、喋る、喋る。戦闘中に喋るといえば、アイアンマンやロジャー・ムーアのジェームズボンドなどもそうだが、デッドプールはケタが違う。なんのケタが違うかというと、下品さのケタと、そして、話しかける相手のケタだ。デッドプールが話しかけるのは敵だけではない。私たち観客に向かって喋るのだ(「第四の壁」を超える)。例えば、正義を守るミュータント組織であり、人気映画の主人公でもある「X-MEN」に、ミュータントであるデッドプールはスカウトされているのだが、そのオフィスに行った時の一言。「なあ、どうしてこんなにでかい屋敷なのに二人しか人がいないんだ? 他の映画だと黄色い服の爪の長いやつとか入るだろ? そんなに予算がないの?」というようなことを言ってのける。映画のルールを思いっきり無視しているわけだ。

 アウトローさは、他にもある。彼はいわゆる「正義」の味方じゃない。本人も言っている。「俺ちゃん(日本語字幕のデッドプールの一人称)はヒーローじゃない」そう言うだけあって、人も何人も殺すし(かなり酷いのもある。それゆえにR-15)、目的だって自分の顔を元に戻してもらうためだ。そして、元に戻してもらった上で殺したい(R-15)。そしてまた彼女と暮らしたい(うーん、これもR-15)。

 

 だがそれでも、こいつに愛嬌があるのは、その人間らしい部分だろう。彼が大事にしているのは世界平和なんていう実感できないものじゃない。もちろんそう言うものを大事にする人は偉いのだが、普通の人の世界からはかけ離れている。デッドプールはとにかく、彼女のヴァネッサを愛している。何とか彼女の前に行っても平気な顔になりたいし、彼女のためにも生きたいのだ。それは実はすごいことだろう。そしてそれは実は、本当にヒーロー的なのかもしれない。そしてそれは、実は人間的なことだ。

 デッドプールは、バットマンのような車は使わない。使うのはインド系のお兄さんが運転するタクシーだ。タクシーのなかでお兄さんの恋の相談に聞いたり、「わるーい」アドヴァイスをしたりする。そしてもちろん無賃乗車。そう言うみみっちいところも何だか身近な感じがする。ピチピチの服だって自分で作った。どうして赤いのか、という理由も、「白いと血が目立つ」というだけである。

 

 最近では、人間の苦悩を描くことで、ヒーローに人間的な部分を見せようとすることが多い。例えばアイアンマンは自分のスーツがもたらす健康上の影響に悩んでいたし、ハルクは自分の暴走を悩む。バットマンなどは、何に悩んでいるか忘れてしまったが、ものすごく暗い。そう言う重い重い方向に人間性を見せようとしているようである。

 しかし人間それだけじゃない。デッドプールはそれを伝えている。あのみみっちくて、ちっちゃくて、自己中心的な感じ。それもやっぱり人間だし、見ていて楽しいのはむしろそっちだ。もちろんデッドプールにだって悩みはある。子供のことどっちが不幸だったか、彼女のヴァネッサとはそんなシビアな話題で仲良くなったほどだ。だがそれでも彼はギャグを絶やさない。それはもしかすると(本人は嫌がるだろうが)アイアンマンに似ているのかもしれない。過激なアイアンマン。そして胸の奥にあるのは身近な人との幸せな生活のみ。アウトローだけど、人間味あふれる男だ。ヒーローではないのかもしれないが、ヒーローにも見える。暗い話なんてつまらない。映画館に行く以上、笑って帰りたいじゃないか。

 

 とまあ、色々語ってみたわけだが、正直言って限界がある。あの映画の爆笑ポイントは所詮、わたしの言葉じゃ伝わらないだろう。だから是非映画館で見て欲しい。もちろん、15歳以上じゃなきゃダメだ。あんなシーンやこんなシーンがある。それでも楽しい映画だ。特にデッドプールの巧みな話術(話芸?)が最高だ。

 

 あ、あと最後に一つ。この映画を観るときは、絶対にエンドロールが終わるまで見ること。途中で帰ると損をする。

 

 それだけだ。

 

(記者:KEBAB)