《映画》「杉原千畝 SUGIHARA CHIUNE」


 雪のシベリア(というよりむしろ満州)を駆け抜ける特急列車。そして、列車内では一人の男が追っ手から逃げようとしている。追っ手はソ連の手のもので、主人公の男は機密情報を盗み出したのだ。客室に逃げ込むも、追っ手によって発見される。しかし、間一髪のところで、客室にいた仲間の女性のおかげで命拾い、男は女性の服のボタンをかけながらにっこり微笑む……。

 ジェームズ・ボンドではない。なんとその男は、ユダヤ難民を救った「命のビザ」で有名な杉原千畝なのである。

 

 昨年の十二月に公開された、唐沢寿明主演の「杉原千畝 SUGIHARA CHIUNE」は予想外の映画だった。六千人ものユダヤ難民に国の命令に背いて難民ビザを与えた、そんな逸話を聞くとお涙頂戴の美談映画なのではないか、と感じてしまうのが人情だろう。しかし、その実態はそうではない。もちろん、そういう面も確かにあるし、見方によってはそういう映画にも見えるだろう。だが、この映画のもつ独特の描き方によって、単純な感動映画、美談映画とは違うものになっているとわたしは感じた。「命のビザ」のシーンは映画のクライマックスではなく、途中の一エピソードにすぎないような描き方をされているのである。

 

 描き方。そう、この作品ではそれが独特だった。一つは、「スパイ映画」へのオマージュであろう。この作品が公開された昨年下半期は、まさに「スパイ映画」戦国時代であった。九月にはコリン・ファース主演の「キングズマン」、十一月にはガイ・リッチー監督の「U.N.C.L.E」、そして十二月には二十四作目となる「007 スペクター」が公開された。その流れに挑戦しているのか、いないのかは定かではないが、この作品では確実にスパイとしての杉原千畝を描こうとしているのである。杉原千畝がナチスの外交官と対面した時、自らを「スギハラ。センポ(=千畝のコードネーム)、スギハラ」と、ジェームズ・ボンドを意識した(?)自己紹介をすると言うシーンには、007ファンのわたしは思わずにやりと笑ってしまった。無論そんな細かいことだけではなく、冒頭に掲げたソ連スパイとのチェイスや、独ソ開戦をスパイ活動によって予見したりするなど、スパイ映画として見ても遜色のないような、手に汗握るシーンもワクワクするシーンも満載であった。それでいて、やはり実在の人物の実際の出来事を描いているだけあって、戦争や翻弄される人々の描写はリアリティもあり、深みもあるバランスのいい作品に仕上がっている。

 

 もう一つは、日本の敗戦という、避けては通れない出来事の描き方だ。杉原は有名な「命のビザ」発効の後、外交官としてドイツに赴任し、スパイ活動によって独ソ開戦を予見する。しかしその情報は小日向文世演じる在独大使によって握りつぶされ、ユダヤ難民へのビザ発効のためにゲシュタポ(ナチスの秘密警察)にも追われ、最終的には「何もするな」といわれてルーマニアに飛ばされる。そこで杉原と妻は舞踏会に出かけるのだが、その舞踏会のシーンと交錯するように、敗れゆく日本の実際の映像が流れてゆく。そして、玉音放送……。描きすぎることなく、さらりと敗戦を描くのだ。それでいて、杉原千畝の何もできないやるせなさや、あまりにもろい戦時中の日本をそれとなく感じることができる。それは、音楽の妙だろう。敗戦を描くシーンで、杉原と妻のダンスが映されるが、そこで流れるのはスラヴ系だかハンガリーだかの哀愁あるワルツである。その曲が、日本の敗戦と言う大きな事件を描く潤滑油にもなり、調味料にもなっているのである。

 この作品は特に、音楽の使い方がうまかった。現在イスラエル国の国歌にもなっており、シオニズム運動(各地で迫害を受けていたユダヤ人が自分たちの国を作ろうという運動)のテーマソングでもあった「ハティクヴァー(希望)」が、難民たちが日本までやっとの思いでやってきたシーンで合唱されるが、あれは感動的だった。それはやはりあの歌のもつ何処とない哀愁であり、込められた思いがあってこそだろう。決して音楽が豊富なわけではない。当時の流行歌やジャズが流れるわけでもない。あえて民族的な音楽(ワルツも、ハティクヴァーもそうだ)をセレクトすることによって、深みのある空気感を作り出している。

 

 期待はずれかもしれない、正直そんなことを映画館に入る時は少々思ってはいたが、そんなことは全くなかった。いい意味で、「ざわざわ」とするなかなかいい映画だった……とわたしは思っている。

(記者:KEBAB)